利休と小田原の陣 韮山竹 |
韮山竹林は、現在江川邸内にあります。
江川家は、北条早雲に、土地を提供し、韮山城を築城させます。北条氏に仕え、後家康に仕えます。
伊豆が、江戸幕府の直轄地となり、江川家は、代官として、伊豆を統治します。
現在江川邸は、重要文化財に指定され、史跡韮山役所跡です。
横が、韮山城址です。
韮山竹花入(園城寺)(夜長)(尺八)(音曲)あまりにも有名ですが、知識としてしか知らない韮山竹。
京都嵯峨も八幡も竹が有名なのに、なぜ韮山で竹の花入れを?という思いもあり、実際見たく朝早く奈良から車で韮山へ。
江川邸は、テレビ大沢たかお主演のJINの撮影されたところです。
大河ドラマ篤姫でも大玄関が使われていました。
ボランティアガイドの方が、竹林へ案内して下さいました。
韮山竹は、真竹です。
竹林の下が、岩盤のため自然に割れ(雪割れ)て竹が、生えるそうです。
また小田原陣中で、利休は、兵が、竹を枕にしているのを見て、
「韮山竹」ということで、韮山竹で花入を作ったという
江川家に、何月何日誰に竹何本譲ったか詳細に書かれた記録が残っています。
「此の筒(園城寺)、韮山竹、小田原帰陣の時の、千の少庵へ土産也。筒の裏に、園城寺少庵と書き付け有り。名判無し。
『逢源斎書』
「一、竹筒事。小田原陣御供休被参。其時大竹在之故、花入に切被申候。
利休が箱根湯本で伊豆韮山の竹を取り寄せて、一重切「園城寺」(おんじょうじ)、「音曲」(おんぎょく)、逆竹寸切「尺八」(しゃくはち)。他に二重切「夜長」(よなが)も作りました。
「尺八」は秀吉に献上し、「音曲」は織部に送り、「園城寺」を少庵への土産にし、「よなが」は自ら使用したそうです。
竹一重切花入 銘 園城寺 (東京国立博物館蔵)千家名物
大名物 利休作 (前回ブログ参照)
少庵への土産
武蔵鐙の文と一燈が上田小平次(冬木家)へ宛た文が添っています。
園城寺は、滋賀三井寺のことです。
正面にひび割れがあるので、「三井寺のひびがはいった鐘」から『園城寺』と名付けられています。
秀吉に献上しましたが、気に入らなく地面に叩きつけたので割れたとも言われています。
利休は、茶会に使ったとき、水が漏れましたが、それが、「この花入れの命だ」と言っています。
逸話は、多くあります。
利休~少庵~宗旦~榎本十左衛門~金屋宗貞~家原自仙~冬木家~松平不昧~東京国立博物館
竹尺八花入 今日庵蔵 千家名物 利休作
秀吉へ献上
上の『茶話指月集』には、園城寺と同じ竹とありますが、別の立ち枯れの竹がつかわれています。
竹質は、やわらかで、逆竹です。わずかに歪み、背面の裾に切り込みがあります。
内箱蓋裏に沢庵和尚が、「一休の頌」を記しています。外箱蓋裏に遠州が「尺八花筒」と書き付けています。
江月和尚、遠州合筆の軸、大心義統、啐啄斎、了々斎の書状が添っています。
竹二重切花入 銘 よなか 藤田美術館蔵 利休作
利休自分用
背面 上 よなか 下 利休花押
節と節の間『よ』が長いからとも、夜営の兵が、枕にしていたからといわれています。
内箱蓋表江岑「利休二重筒名判有」外箱蓋裏啐啄斎極書
随流斎の文と藤村庸軒が写した花入が添っています。
竹一重切花入 銘 音曲 利休作 石水博物館(三重)
織部へ贈る
川喜田家に伝わります。
7月9日付の織部宛の利休の書状が添っています。(前回ブログ参照)
詳しいことはわかりません。
韮山竹花筒 (園城寺、尺八、よなが)三本が、なぜ通例になっているのでしょう?
書物には、はっきり(音曲)と書いてあるのにあまり知られていません。
疑問が残ります。是非拝見したいです。
実際に現地へ出向き、自分の目で確かめ学ぶことは、楽しいです。
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